発生年月日
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地震発生地域
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県内被害の概要
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1891年10月16日(明治24年)
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豊後水道M=6.3
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豊後東部の被害がひどく、家屋、土蔵の亀裂、瓦の墜落あり。
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1898年12月4日(明治31年)
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九州中央部M=6.7
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大分で古い家・蔵の小破、東臼杵郡富岡村で家・蔵の壁に亀裂。
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1899年11月25日(明治32年)
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日向灘M=7.1、6.9
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土蔵、家屋の破損あり。鶴崎で土蔵潰2。長洲町、杵築町で土蔵破壊。
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1909年11月10日(明治42年)
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宮崎県西部M=7.6
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南部の沿岸地方で壁の亀裂、瓦の墜落、崖崩れがあった。
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1916年3月6日(大正5年)
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大分県北部M=6.1
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大野郡三重町、直入郡宮砥村で碑が倒れる。
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1921年4月19日(大正10年)
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佐伯付近M=5.5
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数日前の降雨により緩んだ崖が崩れ、津久見、臼杵間で機関車が脱線。
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1928年11月5日(昭和3年)
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大分県西部M=4.7
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1939年3月20日(昭和14年)
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日向灘M=6.5
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佐伯、蒲江、津久見、臼杵町で家屋の壁の落下、土地の亀裂などの小被害。
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1941年11月19日(昭和16年)
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日向灘M=7.2
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沿岸部で多少の被害があった。
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1946年12月21日(昭和21年)
南海地震
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紀伊半島沖M=8.0
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被害は西日本の太平洋側、瀬戸内に及んだ。津波も発生し、房総半島から九州沿岸を襲った。県内では震度3〜5、津波は約1mであった。被害は死者4、負傷10、建物倒壊36、半壊91、道路の破損8。
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1947年5月9日(昭和22年)
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日田地方M=5.5
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日田町、中川村、三芳村で壁の亀裂、剥落、崖崩れ、道路損壊、墓石転倒などの被害があった。
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1968年4月1日(昭和43年)
日向灘地震
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日向灘M=7.5
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被害が大きかったのは高知県と愛媛県であった。県内では負傷1、道路損壊3、山崩れ3。津波が発生した。
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1968年8月6日(昭和43年)
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愛媛県西方沖M=6.6
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県内では、家屋全焼1、破壊1、道路損壊2、山崩れ4。
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1975年4月21日(昭和50年)
大分県中部地震
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大分県中部M=6.4
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湯布院町扇山、庄内町内山付近を震源。地震前は山鳴り、地震時には発光現象がみられた。震度は湯布院で5、大分4、日田、津久見3であった。被害の区域は庄内町、九重町、湯布院町、直入町と狭かったが家屋の被害はひどく、庄内丸山、九重町寺床ではほとんどの家屋が全壊または半壊であった。主な被害は次の通り。(大分県災異誌等による)
○庄内町 負傷5、建物全壊31、半壊39、道路破損57、崖98、
○九重町 負傷11、建物全壊41、半壊34、道路破損84、崖98
○湯布院町 負傷6、建物全壊0、半壊24、道路破損21、崖36
○直入町 建物全壊5、半壊18、道路破損16、崖4等
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1983年8月26日(昭和58年)
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国東半島M=6.6
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国東半島を震源とし、大分、日田で震度3。中津市で民家が傾き、大分市では一時的に停電4万戸。
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1984年8月7日(昭和59年)
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日向灘北部M=7.1
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大分で震度4、日田で震度3。大分市、佐伯市でブロック塀の倒壊、屋根瓦の破損がみられた。岡城址では三の丸跡に亀裂が生じた。
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1987年3月18日(昭和62年)
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日向灘中部M=6.6
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大分で震度4、日田で震度3。竹田市、三重町で崖崩れ発生。
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1989年11月16日(平成元年)
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大分県北部M=4.8
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大分で震度3。日出町でガラスが割れる程度の被害。
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2005年3月20日(平成17年)
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福岡県西方沖
(福岡県北西沖)M=7.0
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中津市三光で震度5弱。
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