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九重町における過去の地震

大分県内では、有史以来たびたび地震による被害を受けています。最近の発生例の中では、昭和50年(1975)4月21日に発生した大分県中部を震源とする地震(マグニチュード6.4)による被害は大きなものとなり、九重町、庄内町、湯布院町を中心に家屋倒壊等引き起こしました。この地震による九重町の被害状況は、負傷者11名、建物全壊41戸、半壊34戸、道路破損84箇所、がけ崩れ98箇所で、特に寺床地区では、ほとんどの家屋が全壊または半壊しました。
このように、九重町内でも地震による被害は過去に発生しており、もしもの時のために十分な備えが必要となっています。みなさんのご自宅についても、耐震対策に取り組んでみましょう。

昭和50年大分県中部地震の震源と震源分布

大分県の活断層

発生年月日
地震発生地域
県内被害の概要

1891年10月16日(明治24年)

豊後水道M=6.3

豊後東部の被害がひどく、家屋、土蔵の亀裂、瓦の墜落あり。

1898年12月4日(明治31年)

九州中央部M=6.7

大分で古い家・蔵の小破、東臼杵郡富岡村で家・蔵の壁に亀裂。

1899年11月25日(明治32年)

日向灘M=7.1、6.9

土蔵、家屋の破損あり。鶴崎で土蔵潰2。長洲町、杵築町で土蔵破壊。

1909年11月10日(明治42年)

宮崎県西部M=7.6

南部の沿岸地方で壁の亀裂、瓦の墜落、崖崩れがあった。

1916年3月6日(大正5年)

大分県北部M=6.1

大野郡三重町、直入郡宮砥村で碑が倒れる。

1921年4月19日(大正10年)

佐伯付近M=5.5

数日前の降雨により緩んだ崖が崩れ、津久見、臼杵間で機関車が脱線。

1928年11月5日(昭和3年)

大分県西部M=4.7

北小国地方で崖崩れ4。

1939年3月20日(昭和14年)

日向灘M=6.5

佐伯、蒲江、津久見、臼杵町で家屋の壁の落下、土地の亀裂などの小被害。

1941年11月19日(昭和16年)

日向灘M=7.2

沿岸部で多少の被害があった。

1946年12月21日(昭和21年)
南海地震

紀伊半島沖M=8.0

被害は西日本の太平洋側、瀬戸内に及んだ。津波も発生し、房総半島から九州沿岸を襲った。県内では震度3〜5、津波は約1mであった。被害は死者4、負傷10、建物倒壊36、半壊91、道路の破損8。

1947年5月9日(昭和22年)

日田地方M=5.5

日田町、中川村、三芳村で壁の亀裂、剥落、崖崩れ、道路損壊、墓石転倒などの被害があった。

1968年4月1日(昭和43年)
日向灘地震

日向灘M=7.5

被害が大きかったのは高知県と愛媛県であった。県内では負傷1、道路損壊3、山崩れ3。津波が発生した。

1968年8月6日(昭和43年)

愛媛県西方沖M=6.6

県内では、家屋全焼1、破壊1、道路損壊2、山崩れ4。

1975年4月21日(昭和50年)
大分県中部地震

大分県中部M=6.4

湯布院町扇山、庄内町内山付近を震源。地震前は山鳴り、地震時には発光現象がみられた。震度は湯布院で5、大分4、日田、津久見3であった。被害の区域は庄内町、九重町、湯布院町、直入町と狭かったが家屋の被害はひどく、庄内丸山、九重町寺床ではほとんどの家屋が全壊または半壊であった。主な被害は次の通り。(大分県災異誌等による)
庄内町 負傷5、建物全壊31、半壊39、道路破損57、崖98、
九重町 負傷11、建物全壊41、半壊34、道路破損84、崖98
湯布院町 負傷6、建物全壊0、半壊24、道路破損21、崖36
直入町 建物全壊5、半壊18、道路破損16、崖4等

1983年8月26日(昭和58年)

国東半島M=6.6

国東半島を震源とし、大分、日田で震度3。中津市で民家が傾き、大分市では一時的に停電4万戸。

1984年8月7日(昭和59年)

日向灘北部M=7.1

大分で震度4、日田で震度3。大分市、佐伯市でブロック塀の倒壊、屋根瓦の破損がみられた。岡城址では三の丸跡に亀裂が生じた。

1987年3月18日(昭和62年)

日向灘中部M=6.6

大分で震度4、日田で震度3。竹田市、三重町で崖崩れ発生。

1989年11月16日(平成元年)

大分県北部M=4.8

大分で震度3。日出町でガラスが割れる程度の被害。

2005年3月20日(平成17年)

福岡県西方沖
(福岡県北西沖)M=7.0

中津市三光で震度5弱。

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